船越英一郎 実家/家族 湯河原温泉旅館 父親母親兄弟 妹は平野洋子さん

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妻の松居一代さんとのトラブルで、ブログの記事で激しく非難されたり、Youtubeに動画を投稿されたりして大変な状態の、俳優の船越英一郎さん。

今回は、
船越英一郎 実家/家族 湯河原温泉旅館 父親母親兄弟 妹は平野洋子さん
について調べました。

その他の情報も交えて詳しく書いていきます。

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船越英一郎 プロフィール

本名 船越 栄一郎(芸名とよみ同じ)
生年月日 1960年7月21日(56歳)
出生地 神奈川県足柄下郡湯河原町
身長 181 cm
血液型 B型
職業 俳優、タレント、司会者
活動期間 1982年 –

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E8%B6%8A%E8%8B%B1%E4%B8%80%E9%83%8E

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家族

実家は湯河原の温泉旅館「旅荘 船越」

船越英一郎さんの出生地は神奈川県の足柄下(あしがらしも)郡の湯河原町です。

調べると、船越英一郎さんの実家は、湯河原町温泉旅館をやっていることがわかりました。
その温泉旅館の名前は「旅荘 船越」で、船越英一郎さんの父で俳優の船越英二さんが、1965年(昭和40年)に創業した旅館です。
息子である船越英一郎さんは俳優の道を選んだので、旅館は継がず、平野洋子さんが旅館を経営し、女将もやられていました。

「旅荘 船越」は、2009年10月いっぱいで閉館しました。
ホームページもありません。

閉館したのは、妹の平野洋子さんの病が理由です。

経営者と女将をやられていた、妹の平野洋子さんは、うつ病に苦しんでいました。
2009年にはうつ病が悪化の一途を辿り、旅館は10月いっぱいで閉館、平野洋子さんは2010年の2月に自らの手で命をたちました。

なので現在、「旅荘 船越」を利用することはできません。

妹は平野洋子さん

船越英一郎さんの妹である平野洋子さんは、1962年に東京都で生まれました。
その後、神奈川県湯河原町に移り住み、1983年に日本大学短期大学部卒業。

1965年に父の船越英二さんが「旅荘 船越」を創業し、平野洋子さんはその直後に入店、1990年には経営者および女将となりました。

【画像】平野洋子さん
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2000年には、長時間の重労働がたたってうつ病を発症。
パニック障害も併発していたといいます。
真面目で几帳面、完璧主義の性格がわざわいしたと自ら語っていました。

旅館は、闘病生活をしながら経営していたようです。

2006年には一時回復し、闘病経験を元にした小説「梅一夜」を発表し、第5回湯河原文学賞最優秀賞を受賞しました。

しかしその後、病状は良くならず、2009年10月には旅館を閉館、2010年2月には、自らの命をたってしまいました。

葬儀には船越英一郎と松居一代さんも出席しました。

(2009年)8月の最後のブログには「うつ病が悪化の一途をたどり、自分で自分の命のコントロールさえできなくなってしまった。それでも、万が一にも自分から命をたつような愚かな行為に走らないために決断しました。病気を治すための前向きな廃業です」とつづっていた。

出典:http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20100212/enn1002121147000-n2.htm

平野洋子さんの病の原因は旅館での重労働だけではなく、親の介護の疲れなどもあったといいます。

そして、船越家と松居家の確執も原因とも言われています。
船越英一郎さんは2001年に松居一代さんと結婚しますが、船越さんの両親は、バツイチで子連れの松居さんとの結婚を許さず、日本刀を持ち出したりして激昂したようです。
父の船越英二さんは最後まで松居さんに会いませんでした。

そういった両家の確執が、旅館での労働に追われる平野洋子さんを、さらに追い詰めてしまったのだと思います。

平野洋子さんは国家公務員の男性と結婚されていましたが、子供はいません。

父親は船越英二(船越榮二郎)さん

船越英一郎さんの父親は、俳優の船越英二さんです。

本名 船越 榮二郎
生年月日 1923年3月17日
没年月日 2007年3月17日(満84歳没)
出生地 東京都
活動期間 1947年 – 2001年

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E8%B6%8A%E8%8B%B1%E4%BA%8C

船越英二さんは名優として名高く、『安宅家の人々』『野火』『黒い十人の女』など、数々の映画に出演し活躍しました。
『男はつらいよ』の第15作『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』にも出演されています。

【画像】船越英二さん
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俳優になったのは、兄の友人が大映第2期ニューフェイス募集に船越英二さんの応募書類を勝手に送ったところ、合格したからだそうです。

大映に欠かせないスターとして、美男のルックスと個性を活かして様々なジャンルの作品でその役柄をこなす手堅い演技派として活躍。
和製マルチェロ・マストロヤンニとも謳われ、1971年(昭和46年)の大映倒産まで映画で活躍。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E8%B6%8A%E8%8B%B1%E4%BA%8C

1958年には、長谷川裕見子夫人と結婚、1960年には船越英一郎さんが誕生。
1965年に、湯河原に「旅荘 船越」を創業し、娘の平野洋子さんとともに経営にあたっていました。
1989年には紫綬褒章、1995年には勲四等旭日小綬章を受章しました。
2001年に俳優を引退し、その後は旅館に近い自宅で妻や娘夫婦と共に余生を過ごしていましたが、2007年の3月17日に、脳梗塞によりなくなられました(84歳没)、
船越英一郎さんは主演映画の撮影現場から駆けつけている途中で、最期を看取るのはかなわなかったそうです。

上にも書きましたが、船越英二さんは、船越英一郎さんが松居一代さんと結婚することに猛反対で、松居一代さんとは、最後までほとんど口もきかないほどの不仲だったといいます。
船越英二さんがなくなったとき、松居一代さんは悲しまなかったという情報もありました。

母親は長谷川裕見子(船越琴子)さん

船越英一郎さんの母親は、女優の長谷川裕見子さんです。

本名 船越 琴子(ふなこし ことこ)
生年月日 1924年12月8日
没年月日 2010年7月27日(満85歳没)
出生地 東京都
職業 女優
活動期間 1950年代 – 1970年代

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E8%A3%95%E8%A6%8B%E5%AD%90

長谷川裕見子さんは1948年に「遊侠の群れ」という映画で女優デビューし、1950年代から1960年代にかけて、東映の時代劇映画を中心に活躍しました。

【画像】長谷川裕見子さん
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1958年に俳優の船越英二さんと結婚。
1960年に船越英一郎さんが誕生します。
1974年の東芝日曜劇場「一つだけのいのち」の出演を最後に女優を引退。

その後は、娘の平野洋子さんとともに旅館を経営していましたが、平野洋子さんは2010年2月になくなられたので、娘には先立たれてしまったことになります。
長谷川裕見子さんは2010年7月27日に転移性肺癌のため、湯河原町の病院でなくなられました(85歳没)。

船越英二さんは船越英一郎さんが松居一代さんと結婚することに猛反対しましたが、長谷川裕見子さんは松居一代さんを、悪くは思っていなかったようです。

「一代さんはね、ものすごく優しいんですよ。携帯電話にメールくれたり、電話も毎日何度もくれたり。私に対する心配の仕方がね、本当に優しくて、こんなに優しい人に初めて会ったくらい。だから、もうこの人は他人じゃないって。自分の娘だと思ったの。だから、どんなことがあっても、私が守ってあげようと思って。(病気の)私が守ってあげようっていうのもおかしいけどね(笑い)」

出典:http://nina.la/a/108

船越英二さんと松居一代さんの中にはさまれ、長谷川裕見子さんは大変だったと思います。

長谷川裕見子さんは晩年、船越家と松居家の確執だけでなく、癌とも戦っていました。
平野洋子さんは、癌と戦う長谷川裕見子さんを介護しながら、旅館を経営していたということです。

平野洋子さんのうつ病には、母親の介護の疲れも関係していたそうですが、長谷川裕見子さんはそうではないと語っていました。
平野洋子さんのうつ病は、元来のまじめで完璧主義な気質の影響が大きかったようです。

姉や弟の情報はなし

調べたところ、船越英一郎さんに姉はいないようです。
弟さんがいるという情報がありましたが、詳しい情報は出てきませんでした。

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